ハイキングに行きました(新潟・弥彦山)

久しぶりにブログを書きます。

 

今年のゴールデンウィークは、新潟県弥彦山に行きました。

 

電車に乗っているあいだ、目の前に海が広がり、背中側には山が連なっている……という景色を車窓から楽しめて、着く前からわくわくしていました。

新潟は景色が綺麗でいいところです。

 

 弥彦駅から少し歩いて、弥彦神社に行きました。

下調べ不足で弥彦神社がどんなところか知らなかったし、山に登れればいいやと思っていたのでちらっと行けばいいかなと思っていたのですが、結構大きな神社でシカや鶏がいたので行ってみて良かったです。

私はシカが好きなので、シカを眺めるのにそこそこの時間を費やしました。

エサをあげたかったのですが、売り切れていました。残念。 

 

神社を奥に抜けると、弥彦山に登る道に続きます。

 

登山口から少し山に入ると、山小屋(?)のようなお店があります。

朝もお昼も食べていなかったのでここで腹ごしらえ。

燻製したたまご、おいしかったです。

飲み物も持っていなかったので買いましたが、500mlで180円でした。高いね。

 

たまごを食べ終え、山を登り始めます。

標高600mくらいならハイキング気分でらくらく登れるだろうと考えていて(登山経験ゼロ)、まだ夜は冷えるし……と服の下にヒートテックを着込んでいったのですが、登り始めたら暑くて暑くて考えなしな服装をしてきた自分を呪いました。

すれ違う登山者の多くが「こんにちは」と声をかけてくれて、山はいいところだなあと思いながらぜいぜい登りました。

七合目の標識の近くに、湧き水を飲める場所がありました。

登山口で買ったペットボトルは飲み切ってしまっていたので、かなりありがたかったです。

ここでしばし休憩し、また登り始めます。

九合目にたどり着くと、パッと視界が開けました。

日本海とその上に浮かぶ佐渡島を臨める絶景ポイントです。

あの大きな島が佐渡島なのかと、その大きさに少し驚きました。

 

海と島を眺めたあと、食堂・売店に向かいました。

注文したのは、山菜うどんと弥彦山ポテトなるもの。

山菜うどんは普通のうどんでしたが、弥彦山ポテトは塩味のポテトの上にチョコレートソースがかかっているという食べるとちょっと脳が混乱するものでした。

しょっぱ……甘い? しょっぱい……甘い??? と不思議な感覚になります。

弥彦村出身の人とその後知り合ったので、この不思議な味のポテトのことを聞いてみたのですが、これは別に弥彦山の名物ではないそうなので、私はただただ妙なものを食べたようです。

 

食べた後は山頂を目指しましたが、どこが山頂なのか分かりませんでした。

多くの登山客が同じように山頂を見つけられずにうろついていて、何だか面白かったです。

9合目で美しい景色を見られたことに満足することにして、ロープウェイで下山することにしました。

ゴールデンウィークとあって混みこみです。

1時間半くらい待ったかな。

ロープウェイ楽しかったです。それに楽ちん。

 

初の登山は大変でしたが、かなり楽しめました。

登山というと何となくハードルが高いように思えますが、ハイキング気分で行ったのでその心理的なハードルも感じることなく楽しむことができました。

ロープウェイという楽ちん手段があるのもよかったです。

たぶん、私は歩いての下山は疲れすぎていて出来なかったと思います。

 

今回の行程はこんな感じです。

頑張って歩きました!

 

今回携行した本

中島義道『働くことがイヤな人のための本』 (新潮文庫)

中島義道『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』 (角川文庫)

 

『働くことがイヤな人のための本』は数年前は強烈な印象を受けた本でしたが、改めてこの年になり読み返してみると、なんというか、鼻につくところがある本だという感想を抱きました。

『どうせ死んでしまうのに、なぜ死んではいけないのか?』は、中島の「なぜいま死んではいけないのか(なぜいま死なないのか)」という問いには共感できるけれど、「どうせ死んでしまうのに」という部分は理解できないなあ、と思いながら読んでいました。

いつか必ず死ぬのなら、苦しいことに長く耐える必要があるだろうか? さっさと死んだ方が楽じゃないか? それでも私はなぜいま死なないのか。そして、なぜ誰かに死んでほしくないと思うのだろうか? 

……と私は考えているし、この本を読む限り中島も同じことを考え続けているように思えます。

でも私と中島で決定的に異なるのは、「死」に対する捉え方ではないかと思います。

中島は、死んでしまうこと がたまらなく悲しくて、だからこそ人生は究極に理不尽なものなのだと考えているように思えます。

でも私は、死を「絶対的不幸」(同書 p.33)だとは思っていません。むしろ、生きることこそ「絶対的不幸」であり、死は生から逃れる一種の方法なのではないかと考えています。

そう考えているなら、私はみんなに死ぬことをお勧めしてまわるべきなのかもしれません。

それでも私はそうしないし、逆に「どうしたら生きていけるだろうか?」と考えることを促す方法を探っています。

それはなぜなのか?……という疑問が私の根っこの疑問なので、このあたりで中島の考えとは食い違っているようです。

どちらの本も途中で飽きてしまったのですが、『働くことがイヤな人のための本』はそれでも読み通しました。

『どうせ(略)』は読んでいるうちに中島の思想に食傷気味になったので塩漬け中です。いつか続きを読むだろうか?